市場が休みの週末、ウォール街のパニックがアメリカ合衆国中の新聞で報道された。週明けの10月28日の月曜日、最初の「ブラックマンデー」にはより多くの投資家が市場から引き上げ、その日のダウ工業株平均は13%下落するという記録的なものになり、再び大規模な株価崩壊が起こった。翌10月29日、壊滅的な株価崩壊が起こった「ブラックチューズデー」には約1,600万株が取引された。この日の取引高は1968年に破られるまで40年間近くも最高記録となっていた。著作家のリチャード・M・サルスマンは、ハーバート・フーヴァー大統領が懸案のスムート・ホーリー法案に拒否権を発動しないという噂が飛び交っており10月29日に株価は更に暴落したと記した。ゼネラルモーターズの創業者ウィリアム・C・デュラントはロックフェラー家の家族や他の金融界の巨人達と一緒になって、大衆に市場における彼らの自信を示すために大量の株式を買い支えたが、その努力も崩壊を止めることはできなかった。その日にダウ工業株平均はさらに12%下落した。ティッカーテープ機(証券市場の情報を電信網によって遠隔地に伝える機械)はその日の夜7時45分ころまで止まらなかった。市場はその日だけで140億ドルを失い、1週間の損失は300億ドルとなった。これは連邦政府年間予算の10倍以上に相当することなり、第一次世界大戦でアメリカ合衆国が消費した金よりもはるかに多いものだった。
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市場はこの時点から数ヶ月間回復し、1930年4月17日には294.07という2番目の高値を付けた(いわゆる)。市場は1931年4月に着実に下げ始め、1932年7月8日にダウ工業株平均が41.22を付けるまで止まらず、最高値と比べると89%の下落という衝撃的なものになった。